仙北街道

東下嵐江 −下嵐江町(オロセ)=安永風土記(1776)では、町と記されていて渋民沢のかね山などの繁昌ともに、お札所、荷継問屋などもあり、大いに栄えたところで、江戸時代上胆沢大肝入・佐々木庄右衛門の書き上げによると、「長男の数、水沢四八五人、下嵐江一六五人、金ヶ崎九六人、相去六〇人」となっています。さらに宝暦11年(1761)に仙台藩士が書いた『奥州仙台領遠見記』の抜粋をみると、「前川におさご橋有り、是を渡り人家あり下嵐江といふ。此処に御制札かけ置かる。百四、五十年以前下嵐江より西南の方渋民沢といふ所に金山あり、殊の外繁昌、小屋も千軒斗あり、遊女町なども有りしよし、此処に百姓拾八軒住居、往古は此処に御仮屋場とて御境横目御番所ありしよし」と、その盛んなありさまが偲ばれるようです。
 さしもの下嵐江も石淵ダム建設のため移転を余儀なくされ、今はかね山とともに栄枯の跡をとどめるのみとなっています。
仙人

東下嵐江

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