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〒019-0803
秋田県雄勝郡東成瀬村椿川字堤31-2
まるごと自然館
TEL:0182-47-2362

東成瀬の昔っ子

経塚の婆様

 昔々、あるどこに、じさまどばさまがいだっけど。
ある時な、
 「じさま、じさま。じさま先に逝ったどぎは、三途の川渡らねぇで、おれ逝ぐまで、こっちの岸へえで、待ってでけろな」
ってゆったけど。
「おれ 先に逝ったじぎ、じさま来るまで、三途の川渡らねえで、こっちえで待ってるへで、二人ひとぢに三途の川渡るこだな」
って約束したけど。

 かだぐかだぐ約束してな、そのうち、じさま先死んでしまったけど。仲のえ、じさまど ばさまだへんて、やぢねふて、やじねふてな。
 ばさま、鍋餅 こへだって、墓さ持って来で、だんごこ へだって墓さ持って来で、じさま 食でべなど思って、墓さあげっだけぞうな。
 あげるより早ぐカラスきて、ガアガアど、じさま、かねうぢ みんな食ってしまうけど。
「あや、困ったごど。じさまさ かへでくて持ってこえば、カラスだ皆食ってしまう」

 そえで、お寺のおっさんさ、
「じさまさ、かへでのも、なんじしたら えがべ。
おらえのじさま、三途の川のてめで 待ぢでるへんとか、じさまどさ、なんだりかんだり やりでへんとが、なんじしたら じ様どごさ行ぐべ」
って相談したけど。

したば、おっさんな
「三途の川な。んだな、それなば、川さへでやればえんだ」
って言ったけど。
したば、ばさま、なるほどど思ったけど。
「んだば、川さ流してやったほ、えな」
と、思って
「じさま、どらんこ忘れでったへんとか、どらんこじ さまさ、行くよえ」
って、どらんこ十二の橋さ持ってえって、バエーンと投げてやったけど。したば、どらんこ カポカポど流れでたっけぞうな。
「ああ、、じさまさ行くんだ こりゃ」
なんて、安心してな。

 えさ、きて、
「ああ、じさま ぬぐえくて大変なんだ、綿入れ着て 出してやったけ」
って、こんだ布の肌コ こへで、十二の橋さ持ってて、バエーッリ投げてやったけど。

 いいあんべに暮らしたば、こんだ寒ぐなってきたんだへんとが、布の肌コなば寒んだへんとが、どんぶく こへでやろが、どて、どんぶぐ こへで川さ流してやったけど。
しばらぐ暮らしてな、冬越して 次の年の春になったば、隣あだりのばっぱだぢがら、じっさだぢがら、
「恐山さ えぐ、えがねが」
ってゆだけど。
「あ、んだが んだが。おれも恐山さ行ってじさまどごさ、流してやったもの 届いだが 聞いてみねね」
って、その人らじさ かだって行ったけど。

して、恐山さえってな、イタコがらじさまどごおろしてもらって、しゃべってけど。
「じさまどこさ、どらんこ 流してやったけ、とじだけが、じさま」
って言ったけど。
「うん、とぢだけ とぢだけ。キルコのしりがしら、おぢで、どごさがいってまて、中の竹コばり 流れできたけ」
って、そう云ったけど。
「やあや、したら、布の肌コやったけ、なじだけどお」
「うん、きたけ きたけ。袖 ぶんもげで、衿とれで 御幣みでなってきたけ」
「あや、んだら、寒びがどて、どんぶくこへでやったけ、どんぶぐも そやべぇなったけが」
「んだけんだけ。どんぶぐも ユスユスじぐなってきたっけ」
で、そう云ったけど。

じさまな
「おれな、あっこまで行って三途の川のてめで、ばさま来るまで 待ぢでろって云われて待ってらばよ、おれの後ろさ、あまりおが、あの世さ行ぐ人らじ、いっぺ 来て、経塚のばんば一人してさばぎたでへねでな、おれさ手伝ってけろって云ったけお。手伝てるうちな、経塚のばんばど仲良ぐなって、おれ、なんにお 不自由 しねがら、おれどご、おが、しんぺぇしねたてえ」
って云ったけど。
「おめ、そっち えで、わぁええ友達めっけで 楽しく暮らせ」
って、そう云ったけど。
したば、ばんば ごしゃでな、
「あのごろしぇ、俺行ぐな待ぢでるてゆたけ、経塚のばんばど、なかえぐなったなて」
って、ごしゃげで、ごしゃげで、えさ来たけぞうな。

「んだのも、じんじ 云う通りだがもしれね。肌コやれば、御幣みでになってまうし、どらんこやれば、竹コばり いくべし。んだば、なんにお、じんじどごさ、かまわねほえ。隣のじさまど温泉さでも行って、楽しく暮らしたほぅえぇんだ」
てな、思案するよになったけど。


トッピンパラリノプー

   昔々、あるところに爺さんと婆さんがいました。
 ある時、婆さまが
 「爺さま、爺さま。爺さまが先に死んだ時は、三途の川を渡らないで、私が行くまでこっちの岸にいて、待っててくださいよ」
 と言いました。
 「私が先に死んだとき、爺さまが来るまで、三途の川を渡らないで、こっちの岸にいて待っているから、二人一緒に三途の川を渡ることにしましょうよ」
 と約束をしました。

 固く固く約束をしましたが、そのうち、爺さまが先に死んでしまいました。仲のいい爺さまと婆さまだったので、可哀想でとても悲しがっていました。
 婆さまは、鍋餅を作ったといってはお墓に持っていって、だんごを作ってはお墓に持っていき、爺さまが食べたいだろうと供えました。
  けれど、供えるより早くカラスが来て、爺さまが食べないうちに、ガアガアとみんな食ってしまいます。
 「おや、困ったことだ、爺さまに食べさせたくて持ってきているのに、カラスがみんな食べてしまう」

 そこで、お寺の和尚さんに
「爺さまに食べさせていけど、どうしたらいいですか。うちの爺さまが、三途の川の手前で待っているから、いろいろなものをあげたいけれど、どうしたら爺さまに届くでしょう」
 と、相談しました。

 すると和尚さんは
 「三途の川でな。そうだな、それなら川に流してやればいいじゃないか」
 と、言いました。
 すると、婆さまはなるほどと思いました。
 「それなら、川に流してやったほうがいいなぁ」
 と、
 「爺さま、“どうらん”を忘れていったから、爺さまのところへ届くように」  と、“どうらん”を十二の橋の上から、ボーンと投げ入れました。すると、カポカポと流れていきました。
「きっと、爺さまのところへ届くよ、これは」
と安心しています。

家に戻って
「ああ、この季節だから、爺さま暑くて大変だよ、死んだ時は寒かったから、“綿入れ”を着せてやったんだから」
と、今度は布の下着をこしらえて、十二の橋に持っていき、また投げ込みました。
いい具合に暮らしたら、今度は寒くなったので、布の下着では寒いだろうからと“どんぶく”を作ってやろうと思って、作って川に流してやりました。

しばらくして、冬を越して次に年の春になったら、隣近所の年寄りたちが
「恐山に行くけど、一緒に行かないか」
と言ってきました。
「あ、そうだね。私も恐山に行って、爺さまに流したものが届いたかどうか聞いてみなくちゃ」
とその人たちに加わって行きました。

そうして、恐山でイタコに爺さまをおろしてもらって、話ました。
「爺さまのところに届くように“どうらん”を流したけど、届いたかい」
と言いました。
「うん、届いたよ届いた。キセルの尻と頭が落ちてどこかにいってしまったらしく、中の竹だけ流れてきたよ」
と、そう言いました。
「あらら、じゃ、布の肌着も届けたけど、どうだったの」
「うん、きたよきたよ。袖が千切れてしまって、衿もとれて御幣のようになって届いたよ」
「まあまあ、じゃ、寒いだろうと“どんぶく”を作ってやったけど、それもそんなふうになってたのかい」
「そうだそうだ。どんぶくも綿がかたよってしまって、届いたよ」
とそう言いました。

そして、爺さまは
「おれは、あそこまで行って、三途の川の手前で、婆さまの来るのを待っていろと言われたから、待っていたんだが、あんまりたくさん、あの世に行く人たちが 大勢来て、経塚の婆さまから、一人でさばききれないから、手伝ってくれと言われたんだ。手伝っているうちに、経塚の婆さまと仲良くなったんで、何も不自由 なことはないから、おれのことは、そんなに心配しなくていいよ」
と言って、
「お前はそっちにいて、自分もいい友達を見つけて、楽しく暮らすことだよ」
と言うのです。
すると、婆さまは怒って
「あんなに、私が行くのを待っていると言ったくせに、経塚の婆さまと仲良くなるなんて」
と、腹がたって怒って、家に戻りました。

「だけど、爺さんの言う通りなのかもしれない。下着を届けようとすれば、御幣みたいになっていくし、“どうらん”を届けようとすれば、竹だけになるし。そ れなら、なんにも爺さんのことはかまわないほうがいい。隣の爺さまと温泉にでもいって、楽しく暮らしたほうがいいんだろうね」
と、考えるようになったそうです。

トッピンパラリノプー

藤原 晴子さん

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