仙北街道

 慶長7年(1602)佐竹義宣公が秋田へ遷封されるや、要所要所に関所および御番所を設けた。
この地に御番所が置かれたのは、手倉が中山を境とし仙台領と接しているためであり、御堺に御番所が設置されたのである。
設置の年代については、当地に文献が見あたらないが羽陰史略、1681年(天和元年)の条に「領内15ケ所に設置された。」とある。
創設当時は手倉上村にあった。ご番人十右衛門、病死後、後役に菅原四郎左衛門が仰 せつけられるに及んで番舎を自宅前(久保)に新しく普請し、そこで数代勤め、明治 2年(1869)まで続いた。
なお、昭和7年村道が県道として改修の際、御番所跡が道路敷地となり、番舎、御札 場、御門跡もいまは昔の面影もない。
昼間は関門を開き、夜間はこれを閉じ、旅人の出切手、宿泊帳携帯の有無などを調べた。もし、無届けで通るものがあれば関所破りとして斬罪に処された。
仙人

手倉御番所跡

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